「土俵で相撲をとることは大変キケンです」に出演する今泉りえ。本番に向けて稽古が進む中、時同じくして彼女は自身のTwitter内で「プチ自伝」と題した20代を振り返る呟きを連載し、反響を得ている。経験に裏打ちされた興味深い呟きの数々に、同じく興味を持った「土俵で相撲をとることは大変キケンです」のプロデューサーである松田未生は、今泉りえの事を観客やファン同様にもっと知りたいと思い「公演特別企画」と題して緊急インタビュー。多忙を極める彼女へお願いしたところ、ご本人にも快諾いただき1時間に及ぶノンストップの対談が実現。話を聞けば聞くほど、生い立ちから現在に至るまでの間には努力と共に積み重ねたキャリアと、壮絶なドラマがあったことが分かる。話が盛り上がりすぎたために<前編・中編・後編>の3部構成にして、インタビュー内容を全文公開。まずは前編。今泉りえの生い立ちから、ミュージカル俳優としてのキャリアをスタートすることとなった10代を振り返る。(文・写真:朝倉泰臣)
インタビュー前編
〜夢は歌手!! レッスンを重ね、ミュージカル俳優としてのキャリアがスタートする〜
松田「今回出演頂きましてありがとうございます。最初に、出演に至った経緯というか、どのようにオファーが届いて、それをどう考えられて出演を決められたのかというところをお伺いできたらと思います。」
今泉「まず事務所の方からオファーがきていると伺ったとき、どなたが私に声をかけてくださったのかなと思いました。山下くんだけは名前を存じ上げていて面識もあったのですが、山下くんが直接私を指名してくれたのか、そちらの経緯がわからなかったので、私の何をみて声をかけてくださったのかわからず、歌える40代とか、ネットの検索で引っかかったのかな?っていうイメージだったんですけど。」
松田「山下や北村から名前があがって、お声おかけしたという経緯だったんです。」
今泉「逆にそちらの経緯を先に伺いたいと思っていたくらいで(笑)。山下くんとお会いしたときに聞いたら、私と福井晶一※くんが、2013年にジョイントライブをやったときに、山下くんがピアニストの村井一帆くんとお知り合いで、見に来てくださってたんです。吉祥寺のスターパインズでやってたんですが、そのライブで私の歌を聞いてくださって、『りえさん絶対いつかご一緒したいと思ってたんです』って言ってくださったんです。いや、そんなところで繋がるんだとびっくりしました。そのとき紹介してもらって、お名刺もらって、facebookで繋がったりもして。」※「レ・ミゼラブル」ジャン・バルジャン役など多くの舞台で活躍中の俳優
松田「村井さんは大変お世話になっている方でみんな知ってるんですが、山下のそんな熱い思いは初めて知りました。前に観て、『すごい出てもらいたいと思った』って話は聞いていたんですが。」
今泉「まずそこがびっくりしました。それもお会いしてから聞いた話でしたし。私がずっとアンサンブル人生だったので、そんなメインでがっつりやるタイプではなく、こんな風にメインキャストで候補にあげて頂いたことがすごく嬉しくて。私でいいのかしら、ってくらいの感じでした。」
松田「そうなんですね。」
今泉「ミュージカル座さんではだいたいメインで使って頂いてるんですが、それももうほとんど初めてで、劇団四季ではアンサンブルばっかりでしたし、東宝出てもアンサンブルでした。なのでメインキャストとして、プリンシパルとして名前が上にでるという経験がなかったので、直接お話を頂いてびっくりでした。私でよければぜひ!!っていう感じで、すごく嬉しかったです。すごい楽しみでした。」
松田「ありがとうございます。そういう経緯だったんですね。あんまり知らなくて、そもそも北村と山下が作品をつくるので、それに対して出て欲しいと思った人を『その人どうなの?』とか聞いても変かなと思っていて。あんまりキャスティングのことはもうどういう人か、こういう経歴の方なんだって思うくらいで。お話聞くまで、ずっと活躍されていて、いま声をお掛けしたっていうイメージでいたんですが・・・。」
今泉「そうでもないんですよね(笑)。一回、結婚出産っていう時があったので、ちょっと外れた時期もあって、そこからリスタートしたような状態です。年齢的にも、若い役にはハマらなくなって、じゃあ中年層はどうかなと思ってもまだ若くてという中途半端な年齢とキャラクターではあるので、難しいんでしょうね。ミュージカル座のハマナカトオル先生はすごくかってくださって、お母さん役や先生役で使ってくださっていて、そこが私のなかで重要なステータスにはなっていて、この先こういう風に色々やっていきたいなって思っていたときに来たお話だったので。」
松田「けっこういいタイミングだったんですね。」
今泉「本当にいいタイミング!」
松田「スケジュール的にも(タイミングが)よかったと。」
今泉「ちょうど何かやりたいなと思っていた時期だったので、もうぜひありがたくっていう感じで。」
┃舞台の世界に入るきっかけ
松田「こういうお仕事に入るきっかけは、何か習い事でやっていたからなのか、それとも最初からミュージカル女優とか、歌うっていう夢があったですか?」
今泉「もともと地元の児童合唱団にいて、とにかく歌手になりたくて。小学校の頃は歌手になりたかったんです。」
松田「具体的に憧れていた人とかいるんですか?」
今泉「いやもう聖子ちゃん明菜ちゃんです。」
松田「おお(笑)」
今泉「まあ年齢ががっつりでますけど(笑)。もともとピンクレディーの真似して歌って踊ってる子供時代から、小学校になって聖子ちゃん明菜ちゃんがデビューして、もう私ああいう風に歌手になりたい、アイドルじゃなくて歌手になりたかったんです。なのでポップスじゃなくても、美空ひばりさんとか、岩崎宏美さんとか歌謡曲も大好きで、とにかく歌番組に出れるような歌のうまい歌手になりたいと思っていました。」
松田「好きなアイドルとかいらっしゃいますけど、歌の番組とか、いろんな人が歌っているものに興味があったということですかね。」
今泉「もうかじりついて見てましたね。歌手になりたくて、そういう事務所を小学校後半からもう探したりしていました。でもそう言いながら児童劇団に入ったりもして、合唱団と並行しながらテレビもやったりしたんですが、ちょっと違うなと思ってすぐやめてしまいました。芸能事務所に入って、歌手としてデビューするためのレッスンをしてたんですが、事務所が倒産して、話がぽんっと…。」
松田「それって、まだ10代くらい…」
今泉「中学2年生です!」
松田「大変な人生を!未来がなくなるっていう…」
今泉「中2であっけなく夢が破れて。そこの事務所にアイドルが一組いて、その次にデビューって話でレッスンしていたんですが、事務所の倒産でその話もなくなってしまって。そこで一旦普通の子になったのですが、ダンスや歌のレッスンは続けていました。芸能界にいくっていうのは、その時決めていたので。」